高度経済成長が始まる1950年代、他社に先がけ株式投資を積極化したフコク生命は、総資産の半分以上を株式で占める。一方、1980年代後半のバブル期には、他社が株式や不動産への投資を積極化する中、その抑制を図る。この判断は、1990年代後半から始まる金融・生保危機においても、高い健全性を堅持したことにつながる。こうした社会構造や経済環境の変化を捉えたその独特な資産運用は、まさに差別化そのものであり、当社の強みの一つである。
他社との横並び的な行動とは一線を画したその投資スタンスは時に異彩を放つ。フコク生命の資産運用部門に脈々と流れるDNAについて、独自の資産運用哲学とその風貌から「日比谷のバフェット」(※1)の異名をとる富国生命保険相互会社第9代社長米山好映(よねやま よしてる)をはじめ、数々の難局を乗り越えてきた者たちに、100周年プロジェクト社史外伝チーム(※2)のメンバーが話を聞いた。

※1 バフェット
世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの会長兼CEOを務めるウォーレン・バフェットのこと。長期的視点に基づき、優れたビジネスモデルを持つ割安銘柄に集中投資し、その実績は米国を代表する株価指数を大きく上回る。

※2 100周年プロジェクト社史外伝チーム
2023年に創業100周年を迎える当社は、「THE MUTUAL」(ザ・ミューチュアル)というコンセプトのもと、100周年プロジェクトに取り組んでいる。「THE MUTUAL」とは、共感・つながり・支えあいをベースとした、次の100年に向け進化する次代の相互扶助のこと。社史外伝チームは、年表では読み取れない役職員の心情や熱意を深掘りし、その想いを語り継ぐべく記録として遺す。

時代の潮流に呑まれ、
軸がぶれたら終わりだ

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フコク生命は、1980年代半ば以降のバブル経済に踊ることはなかった。その背景には、富国生命保険相互会社第6代社長古屋哲男(ふるや てつお)の判断があった。しかし、当時、財務企画室に在籍していた米山は、古屋の判断に疑問を持ったという。

米山
バブル期は日本全体が熱狂していて、その状態がずっと続くと誰もが思っていました。
当時、財テクという言葉が流行していて、事業会社が本業ではない株式や不動産への投資を行なっていました。財テクしない会社は何をやっているんだと言われていたほどです。当然、資産運用を事業の一つとしている銀行や保険会社は、積極的に株式や不動産へ投資をしていました。そうした中、当時の社長である古屋が「今の株価は高すぎる。だから買うな」と言うのです。
私は、何を言っているのか、おかしいのではないかと思いました。それでも、古屋は「買うな」と言い続けます。その間、他社に総資産でどんどん追い抜かれていきました。こうした状況に失望し辞めていく若い職員もいました。そういうこともあって、私は批判していたのですが、やがてバブルは崩壊します。そして、気づくのです。古屋の「買うな」という判断が正しかったと、痛感したことを今でも覚えています。
私自身、社長になって思うのは、バブルのように時代の潮流に呑まれ、軸がぶれたら終わりだということ。古屋の言葉と、その後ろ姿から学んだことです。

バブル崩壊後、ある経済誌の記事でフコク生命が生き残ることができた理由を、「何もやらない会社だから」と書かれた。これに対して、米山は猛然と異議を唱えたという。

米山
企業が何もやらないで生き残れるということはありえません。内幸町本社ビルの建設費は当時の総資産の10%を超えました。こうした大胆な投資、つまりリスクテイクを当社は行ってきました。
経済誌が言うように、何もやらないから生き残れた訳ではない。やる時はやるし、やらない時は誰が何を言ってもやらない。時代の潮流に呑まれず、この軸をぶらさなかったからこそ、当社のいまがあると確信しています。

こんなこと普通するのか
それを常に考える

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1990年代後半から2000年代前半にかけての金融・生保危機は、銀行、証券会社、そして生命保険会社を破綻に追い込み、合従連衡を促した。こうした状況においても、「危機感があったことは間違いないが、破綻に追い込まれるという心配はしていなかった」と、当時、室長であった米山のもと財務企画室に籍を置いていた林俊勝(はやし としかつ)は言う。


バブル期は、同業他社の総資産が数年で倍になるということがざらでした。証券会社の新入社員に支給されるボーナスが父親より多いという話もありましたが、当社はそういう感じではありませんでした。景気は良かったものですから、多少は浮かれることもあったかもしれません。ただ、ボーナスが急激に増えるとか、会社の規模が倍々になるということはありませんでしたので、お祭り騒ぎという感じはなかったです。
それが、当社のDNAなのだと思います。当時は、極端な言い方かもしれませんが、誰でも株を買えば儲けることができました。しかし、普通に考えて、こういう状況が長続きする訳がありません。「普通に考えて」という感覚が、当社には根付いているような気がします。
従って、金融・生保危機時においても、破綻した会社のように当社の資産内容は傷みませんでした。もちろん、危機感があったことは間違いありませんが、破綻に追い込まれるという心配はさほどありませんでした。ただ、「フコク生命も危ないらしい」という変な噂が立って、それこそ取り付けみたいな騒ぎになることは絶対にあってはならないと思ってはいました。
資産運用において意識していたことは、「こんなこと普通するのか、それを常に考える」ということ。とはいえ、バブル期のように世の中が浮かれている時に、こういう感覚を持つことは非常に難しいことだと思います。だからこそ、「普通に考えて」という感覚を持つことが、肝となるのです。

他社がやっているから、
はありえない

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2008年9月15日に起こったリーマンブラザーズの経営破綻は、グローバルな金融危機を誘発した。
リーマン・ショック以降のフコク生命の動きは早かった。株式などのリスク性資産をいち早く機動的に圧縮し損失を最小限にとどめる。これは、結果的にその後のリスクテイク余地につながる。2010年度以降の円高局面におけるオープンでの外国公社債の積み増しだ。オープンとは為替ヘッジをつけないこと。ここでのオープン外債の積み増しが、その後の償還時における為替差益につながり、利差益に大きく貢献する。実際、2017年度の基礎利益は過去最高となった。リーマン・ショック時に、その対応に奔走したひとりが、渡部毅彦(わたべ たけひこ)だ。

渡部
リーマンブラザーズ破綻のニュースに接した時は、それがその後のグローバルな金融危機にまで発展するとは思いませんでした。破綻翌日の16日に大きく下落した日経平均株価も、17日には反発するなど、当初はそれほど危機感はなかったというのが正直なところです。
それが10月に入って、証券化商品の損失がどこまで拡大するのかという懸念が広がり、米国の金融機関の信用力が急速に低下。米国を代表する株価指数NYダウは下落を続け1万ドルを割り込みました。リスク回避の円高が進んだこともあり、10月8日には日経平均株価も下落し1万円を割り込みます。そして、10月10日、有価証券の含み損が拡大した生命保険会社が経営破綻。日経平均株価は8000円台前半まで下落します。当社はその日に臨時の資産運用部門長会議を開催。事前に準備していた大掛かりなリスク削減策の実施を決定します。
その日から、激動の半年間が始まりました。いま思い返しても、資産運用部門が一丸となってリスク削減と利益の確保に取り組みました。よって、2008年の年末から2009年の年明けにかけて、最悪は免れた、何とかなりそうだという感覚は持てましたが、無事に3月の年度末を迎えることができた時は、本当に安堵しました。経常赤字に陥る同業他社もある中で、当社は経常黒字を確保。
課税所得もプラスになり、「リーマン・ショックの時にも税金を払うなんて、フコク生命さんはさすがですね」と嫌味を言われた役員もいたくらいです。
なぜ、こうしたことができたのか。格付会社などに「フコク生命の運用の強みは何か」と聞かれた際に、「スピーディーな意思決定」と答えることがあります。この時はこの強みを十二分に発揮できたと思っています。

その後、渡部は資産運用部門の総責任者であるCIO(チーフ・インベストメント・オフィサー)になる。受け継がれてきたそのDNAについて聞いた。

渡部
資産運用のDNAを一言で表現することは難しいのですが、先輩方に言われてきたことの一つに、「他社がやっているからは絶対に通用しない」があります。私も若い職員に対して、この話をよくします。他社がやっているのに何故やらないのか、収益機会を逃すのではないか、といった雑音に耳を貸さず、「安い時に買って、高い時に売る」という投資の原理原則をいかに貫けるか。言葉にすると簡単なように聞こえますが、これを実行することは本当に難しい。資産運用部門の一人ひとりがしっかりと自分で考え、投資の原理原則を貫く。これが当社のDNAだと思います。
リーマン・ショックという危機を乗り越えられたのは、時流に流されず原理原則を貫いた先人が遺してくれた資産があったからです。その時に資産運用に携わっていた自分たちの力だけでは、難局を乗り越えることはできなかったと思っています。
生命保険は終わりのない仕事です。運用における良質なポートフォリオは一朝一夕でできるものではありません。先輩方が遺してくれたポートフォリオのおかげでリーマン・ショックを乗り越えることができたように、私たちの仕事は、後輩たちの時代に花を咲かせるような種まきをいかにできるか、ということとも言えます。その種をまいた畑をバトンリレーしていくことが、私たちが最もやらなければならないこと。そう肝に銘じています。

価値を考え、逆張りする

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渡部は「投資の原理原則を貫くのが当社のDNAだ」と表現したが、バブル期にファンドマネージャーを務めた鳥居直之(とりい なおゆき)は、その真髄を「逆張りだ」と語る。

鳥居
「逆張り」という言葉があります。例えば、株を買う場合、長期的に考えれば10年に一度ある暴落時に買えばいい。日常的に売り買いする必要はない。企業価値に比べ株式価値が割安か割高かを考え「逆張り」する。
私が尊敬する投資家のウォーレン・バフェットは、自らが説明できない株には投資をしないと言います。一方、経済学者であるジョン・メイナード・ケインズは、株式投資のことを美人投票だと表現しています。これは、自分がどう思うかではなく、多くの人が美人だと思う株を買えということです。ケインズはそう言いますが、多くの人が美人だと思う株は一時的な流行である可能性も高く、その価値はいずれ剥げ落ちます。長期という視点で投資を考えるのであれば、美人投票、つまり他者に迎合するのではなく、自分がこれだと思う株を、自分がここだと思うタイミングで、買うことが正しいと思います。
当社は、経常益による内部留保を第一義とし、外部調達を適宜実施することで、非常に強固な自己資本を有しています。この点は、格付会社や投資家から、極めて高い評価をいただいています。こうした十分な自己資本があるからこそ、資産運用においてリスクを取ることができます。十分な自己資本がないのに、リスクを取りに行くことはやってはいけない。このような考え方が、将来にわたり会社が健全でいられるかの、非常に重要なポイントです。
かつて破綻した生命保険会社もありますが、生命保険業という本業で破綻した会社はありません。どの保険会社も資産運用が失敗して破綻しています。強固な自己資本のもと、資産運用の原理原則を貫いていけば、高い健全性をこれからも堅持することができると思っています。

資産運用に携わってきた者たちの言葉に共通するのが、「時流に流されず、原理原則を貫く」ということ。
生命保険はお客さまとの一生涯にわたる、さらには世代を超える約束であり、終わりのない仕事です。だからこそ、この「時流に流されず、原理原則を貫く」という軸が重みを持つ。枝葉の部分は変化対応していくが、軸は絶対にぶらさない。こうした考え方をベースにした投資行動の積み重ねが、次の100年に花を咲かせることにつながっていく。