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徳島県四国大学


徳島支社

「藍」でつなぐのは、
人、物、自然への想い。

2023年の創業100周年に向け、「THE MUTUAL(ザ・ミューチュアル)-次代の"相互扶助"を考える-」というコンセプトのもと、100周年プロジェクトに取り組んでいます。「THE MUTUAL」とは共感・つながり・支えあいをベースとした、次の100年に向け進化する次代の相互扶助のことです。

徳島県では古くから藍染めとその染料となる「蒅(すくも)」づくりが盛んで、高品質な「蒅」は「阿波藍」とよばれてきました。2020年の東京五輪・パラリンピック公式エンブレムに藍色が採用されたのを機に、徳島県が誇る「藍」を国内外に発信しようと官民一体となった取組みが行われています。
「阿波藍」への理解を深めようと、徳島支社のお客さまアドバイザーが訪れたのは徳島市にある四国大学。四国大学では1979年より大学内に藍染め専門施設「藍の家」を設置し、地域の伝統文化に根ざした教育研究活動を行っています。「藍の家」には本格的な藍染め実習室があり、学生たちが自ら「藍」を仕込み、作品制作に取り組んでいます。徳島の「藍」をテーマに、四国大学 生活科学部 人間生活科学科 准教授の有内則子さんにお話を伺いました。

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四国大学 生活科学部 人間生活科学科 准教授の有内則子さんに、「藍」について丁寧に教えていただきました

「藍」を育てることで、
「愛」が育つ。

お客さまアドバイザー(以下、AD) 有内さんは、四国大学で「藍」の研究や振興に取り組まれているとお伺いしました。有内さんと「藍」との出会いをお聞かせください。

有内さん(以下、有内) 最初に「藍」に触れたのは中学校で行われた藍染めの授業でした。その時は、ただハンカチを「藍」で染めた程度の体験でした。本格的に「藍」に触れたのは、四国大学に入学し「藍の家」と関わりを持つようになってからです。藍染めは、仕上がりがある程度は予測できますが、すべてを思い通りにコントロールすることはできません。「藍」と対話し、「藍」のご機嫌を伺いながら、「藍」と一緒にモノづくりをしているような感覚です。だからこそ、上手く出来上がった時の喜びは大きく、そこに魅力を感じ卒業後も助手としてここに残り、現在に至っています。

AD わたしも中学校の時に、藍染めをしたことを覚えています。ただ、徳島県で暮らす人でも藍染めのことを知ってはいても、「藍」の文化がどのように発展してきたかなどはあまり知られていないと思います。徳島県における「藍」の歴史についてお聞かせください。

有内 徳島県の繁栄を支えてきた「阿波藍」は、全国に誇れる伝統文化です。
徳島県は古くから藍染めの原材料である「蒅(すくも)」の生産が盛んでした。「蒅」の生産が発展したのは、藍作に適した土地だったからです。藍作が行われた吉野川流域は、江戸時代には無堤防地帯で、吉野川がたびたび氾濫しました。秋に収穫する稲作は、その被害を受けやすかったのに対し、藍作は夏に収穫するため氾濫による被害が少なかったのです。適度な氾濫が肥沃な土を運び、水の便もよく、藍作が発展していきました。江戸時代中期には吉野川の下流域から中流域まで藍作が広がり、「蒅」の生産量をのばしていきます。そして、江戸時代後期には「阿波藍」は品質のよい染料として高く評価され、全国に出荷されるようになりました。
実は、江戸時代中期頃までは、「阿波藍」は二級品だったようです。江戸時代後期になり「阿波藍」が爆発的な人気を博していったのは、徳島藩の保護奨励の元、「手板法」という品質鑑定方法を開発し製藍技術を高めたからです。その結果「阿波藍」の品質は安定し、ブランド化していきました。
その後、「蒅」の生産量は、明治時代後期頃まで拡大します。市制が施行された 1889 年(明治 22 年)当時は、徳島市の人口が全国 10 位だったのも「阿波藍」の発展があったからだと思います。しかし、インド藍の輸入や、化学染料の発明で安価な染料が普及し1903年(明治36年)のピーク以降、「蒅」の生産量が急激に減少していきます。
衰退の一途をたどっていた「蒅」の生産ですが、1966年(昭和41年)以降、県や国などによって「阿波藍」を保存するための様々な団体が設立され、蒅作り、藍建て、藍染技術の継承に取り組んでいます。また、近年の伝統工芸品や自然を感じる手作り作品への人気の高まりなどもあり、「阿波藍」が見直されるようになっています。現在は、一時に比べると「蒅」の生産が回復していますが、「蒅」の生産をどう継続していくかが課題となっています。原材料となる藍作の担い手が足りておらず、とても厳しい状況なのです。現状のままでは先細りするだけなので、継続的な「蒅」づくりの体制構築が求められています。

AD 「阿波藍」が徳島県の繁栄を支えてきたこと、そして、この徳島が誇る伝統文化を守るためには、藍作の担い手が必要だということがよくわかりました。「藍の家」を拠点に学生の指導に力を注がれておりますが、日頃どういったことを教えられていますか?

有内 私は、人間生活科学科デザインコースで学生たちを指導しています。ただ藍を使ってデザインするだけでは、学生たちに地域の歴史や文化、価値について伝わらないと考えています。「藍」の種を蒔くところからはじめ、育て収穫する。収穫した「藍」を発酵させ、藍染めの原料となる「蒅」をつくる。そして、最後に自らの手で染め、一つのデザインを完成させる。
藍染めやデザインの知識と理論を身につけることは大切ですが、一連の体験を通して、物や自然への愛情を持つことを身につけてほしいと願っています。
地味な作業で手間もかかりますが、やはり自分が手をかけると愛情が湧くものです。現代は便利になりすぎて、物や自然への愛情が希薄になっているように感じます。最初は授業の一貫としてノルマのように取り組んでいた学生も、途中からだんだんと自発的に行動するようになってきます。そうなると、こちらが期待した以上の想いを持ってくれますので、その時は、とても嬉しいですね。

AD こうした体験を通して、「藍」だけでなくSDGsなどの社会課題に関心を持つ学生も多いのではないでしょうか。

有内 そうですね。わたしから何も言わなくても社会課題への関心を深めてくれる学生は多いと思います。わたしは展示会や卒業制作に取り組む学生たちに、一生手元に置きたいと思えるものを制作してほしいと伝えています。展示が終わった後にゴミになってしまっては本当の意味でのモノづくりではありません。それは「藍」にも、失礼な行為になります。学生たちには、作り手としての責任を持ってほしいと思っています。その想いに学生たちが応えてくれ、愛情に溢れた素晴らしい作品を制作してくれています。

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有内さんの説明を聞く徳島支社阿南営業所の尾崎お客さまアドバイザー(左)

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乾燥させたタデ藍の葉(写真左)と蒅(写真右)

人の想いをつなぎ、
伝統文化を守りたい。

AD 「阿波藍」の振興のために、行っている取組みを教えてください。

有内 「藍」を通して様々な体験をすること、それが将来的に「阿波藍」の振興につながると思っています。2022年6月に「藍フェア」という地元のイベントに参加させてもらい、タデ藍の葉・茎・種を使ったマフィンの販売やタデ藍の生葉を使った「たたき染め」体験を行いました。来場された方と直接コミュニケーションを取ることで、「阿波藍」への評価を肌で感じてもらえたと思います。様々な体験を通して、世の中に流通している藍染め製品の産地や製法、価格に関心が持て、「阿波藍」の価値に気付いてくれるのではないでしょうか。一人でも多くの学生が、その価値を守ろうと思ってくれることを期待しています。

AD 藍染めは、原料を育てる人、染料を作る人、染める人とたくさんの人のつながりによって生み出されています。藍染めのような伝統文化を未来につなげていくには、やはり人と人のつながりは欠かせないものでしょうか。

有内 人と人のつながりは欠かせないです。藍染め産業は、藍作農家の方、藍師さん、染め屋さん、そして小売業者、消費者のつながりによって成り立っています。ですが、作り手と消費者が直接つながりを持つ機会は多くありません。藍染め商品を手にした方には、畑から生まれたものであると認識されていない方もいらっしゃるのではないでしょうか。一つの商品が多くの人の手によって生み出されているということが伝われば、伝統文化を支えている人への想いも生まれるでしょうし、商品への愛着も深まるかもしれません。人と人のつながりによって生み出されている、かけがいのないものだということを伝えていきたいと思います。

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左から、徳島支社を代表して藍染めに挑戦した樋口支社長、武井さん

心から向き合うことで、
真のつながりは生まれる。

AD 今回は藍染め体験をさせていただきありがとうございました。「阿波藍」への理解が深まることで、お客さまとの何気ない会話の中で「阿波藍」について触れられますし、私たちから発信できることもあるのではと思いました。フコク生命では、地域課題を解決する一助となることを経営方針に掲げています。地域社会の一員として、「阿波藍」を次代に受け継いでいくための力になるとしたら、どのような事が考えられるでしょうか。

有内 フコク生命のような企業に、藍染め商品を購入していただくことは一つの支援になります。しかし、単発の支援で終わってしまっては意味がないと感じています。一つの文化を守るためには、継続した支援が必要なのです。県内市町村も地域おこし協力隊制度を活用するなど、「阿波藍」を支援する人を集めてくれています。県外の方に「蒅」づくりを学んでもらう機会も増えています。こうした一つひとつの取組みを継続して支援していくことが、「阿波藍」はもちろん徳島県という地域の支援になると思います。

AD 徳島県という地域社会の一員として、わたしたちが継続して支援できることはないかを考えていきたいです。
では、最後の質問です。フコク生命は、これからの時代こそ、人が豊かに暮らしていくためには人と人のつながりが大切だと考えています。“人が集まる「人」をつくる、大学。”をブランドスローガンに掲げている四国大学とは共通の想いがあるように感じています。これからの時代、人と人のつながり方はどうあるべきでしょうか?また、次代を担う若者たちに、どのようなことを大切にしてほしいとお考えですか?

有内 今の時代、インターネット上で簡単に人とつながることはできます。ただ、やはり顔と顔をつき合わせたつながりが大切だと思います。最近の学生たちを見ていると、面と向かって想いを伝えあうことが苦手なのかなと思います。想いを伝えることで、傷ついたり、ぶつかったりすることが怖いのかもしれません。ただ、お互いが心から向き合うことで、本当のつながりが生まれるのだと思います。インターネット上のつながりではない、Face to Faceのつながりでは相手のことを想うことが必要とされます。これからの次代を担う若者には、人と向き合うことを恐れず、人を想うことを大切にしてほしいです。それができれば、物や自然にも優しくなれるのではないでしょうか。「藍」をとおして、心から向き合うことの大切さを若者たちに伝えていきたいです。

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藍染めしたハンカチは大切に使わせていただきます。

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編集後記

徳島支社

今回「藍の家」を訪問し、藍染め体験や有内さんとの対話を通して「阿波藍」について深く知ることができ、「藍」がただの物ではなく徳島県に根づいた文化であることを実感できました。徳島県人として、これまで以上に徳島県に愛着が湧き、こうした地域に根ざした伝統文化に触れる機会をこれからも大切にしていきたいと思いました。
有内さんのお言葉から、「阿波藍」という文化を次代に受け継いでいきたいという強い情熱が伝わり感銘を受けました。人と人のつながりで伝統文化を守ろうとされているように、わたしたちも日々の活動を通して、お客さまをはじめフコク生命に関わるすべての人と人のつながりを深め、「THE MUTUAL」を体現したいという想いを強くしました。

※マスクを着用していない写真は、撮影時のみ外して撮影しています。

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